男子バレーボールのトップ選手、指導者が語る「バレーボールで生きていくと言うこと」

THE VOICE

2016/08/29

堺ブレイザーズ 田中幹保さん インタビュー その1

トッププレイヤー、指導者として道を究めた堺ブレイザーズ取締役相談役 管理部長の田中幹保さんに、バレーボールで生きていくとはどういうことか、じっくり話を聞いた。

バレーボールVリーグの堺ブレイザーズ取締役相談役 管理部長の田中幹保さんは、高校時代まで全くの無名選手だったが、新日鐵入社1年目18歳で全日本代表となり、オリンピック出場2回、ワールドカップ出場2回、指導者としても新日鐵堺監督、全日本監督を務めた。

選手としても、指導者としても日本バレー界の頂点を極めた。

そんな田中幹保さんのバレーボール人生はどんなものだったのか。

今、スポーツで頑張っている高校生の皆さんに「スポーツで生きていく」とはどういうことなのか、考える参考になれば幸いだ。じっくり読んでほしい。

バレーボールは好きじゃなかった!

195cmの長身は、さすがに存在感がある。

「兵庫県の姫路市夢前町の出身です。バレーボールは中学生から始めました。入学した時にもう165,6cmあったんです。

野球がやりたかったのですが、人気スポーツだから部員がたくさんいたので入部をためらっていると、長身が目立ったのかバレー部の先輩に無理やり入部させられた。

でもそのときに、バレーで生きていくとは全然思っていなかった。バレーボールは全然好きやなかったからね。

それまでやっていなかったから。バレー部でボールを触ったのが、初めての経験だった。

バレーボールは、技術が要ります。オーバーパス、アンダーパス、スパイクなんて空中で打つこともする。はじめてやって難しかったので、全然面白くなかった。

こんな話をしても“部活応援”にならないかもしれないけど(笑い)」

田中さんは優しい笑顔で話した。

 

 

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「一緒に入った同級生のお兄ちゃんもバレー部の選手で、3年生でした。

お兄ちゃんは“あいつほっておいたら練習出てこないから、迎えにいけ”と弟に命じた。で、その子が毎日むかえにきたんです。

気は進まなかったけど、3年間練習を続けて技術を身に着けて、結構レベル高いプレイヤーになっていたんですね。

で、当時強かった姫路南高校から誘いが来たのですが、バレーは好きではなかったから自分の学力にあった姫路東高校に進学しました」

 

“部活動に必ず参加する”というルールがあったので高校でもバレー部に入った。

 

「高校では野球やりたいなと思ったのですが、ゼロからやるのは大変ですし、バレー部に入りました。でも、高校時代、練習はまず行っていない。中学の時のように誘いに来てくれる子がいなくなったから、月に1回くらいしか練習に出ていないんじゃないかなあ。

でも試合には出ていました。身長は190cmありました。でかいだけでしたが、練習しなくても高校では通用したんです。そこそこ目立った存在でした。

うちの学校のとなりに、姫路工業高があります。

日本代表の主将だった中村祐造さんの出身校です。中村さんの恩師の先生が、東高に目立つ子がいるよと中村さんに伝えた。で、中村さんが誘いにきたんです」

明日に続く

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