あんな練習に耐えたのだから、これくらいの練習へでもないわ

THE VOICE

2016/08/30

堺ブレイザーズ 田中幹保さん インタビュー その2

トッププレイヤー、指導者として道を究めた堺ブレイザーズ取締役相談役 管理部長の田中幹保さんに、バレーボールで生きていくとはどういうことか、じっくり話を聞いた。2回目は実業団のトッププレイヤー時代。

超ハードな練習が待っていた新日鐵堺

田中さんを新日鐵堺に勧誘した中村祐造選手は、姫路工から八幡製鐵(のちの新日鐵堺)に入社。

東京オリンピック、ミュンヘンオリンピックに出場。ミュンヘンでは主将として日本を金メダルに導いた。

その後も新日鐵堺のプレイングマネージャーとして黄金時代を築いた大選手だ。

田中幹保さんは、1973年、中村祐造選手のスカウトで、新日鐵堺に入社した。

 

「たぶん、そのときまで中村祐造さんは、私のプレーは見ていないと思う。体だけ見て、そして恩師の言葉だけを信じて勧誘したのだと思います」

 

田中幹保さんのバレーボール人生は、ここから激変する。

 

「2年間は、中村祐造さんにばんばん鍛えられました。スパルタ練習当たり前。朝から晩までしごかれっぱなし。馬や牛と変わらないほどでした。無我夢中で、何も考えることはなかったですね。

理不尽な練習だったけど、これを経験して、特に精神的な部分が強くなった。

それ以降、そんな練習は二度としなかったけども、あんな練習に耐えたのだから、これくらいの練習へでもないわ、と思えるようになりました。バレーボールについて考え始めたのは、全日本に選ばれてからですね」

 

しかし下積みの時期はほとんどなかった。いきなり大舞台でデビューした。

 

「18歳の5月の都市対抗でデビューしました。なぜ使ってもらったのかわからないけど、ここで大活躍したんです。

当時、プレスインタビューの場所なんかなかったので、終わったとたんに記者の方々がバーッと私を囲みました。緊張しながら対応したのを覚えています」

 

1973年といえば、ミュンヘンオリンピックで松平康隆監督率いる男子バレー日本代表が、金メダルを取った翌年。

同時進行で放映されたアニメ「ミュンヘンへの道」が、大人気となっていた。

新日鐵堺のプレイングマネージャーの中村祐造選手は、日本代表の主将。その中村選手のチームから、新しいスターが誕生したというので、マスコミは注目したのだ。

 

「とにかくバレー人気は凄かった。試合会場は超満員でしたし、専門の記者もたくさんいました」

トッププレイヤー、そして指導者へ

田中幹保さんは、18歳で入社した年の6月には全日本代表に選ばれた。トッププレイヤーに一気に駆け上がったのだ。

ここからは輝かしい日々が続く。

翌74年に日本リーグでは19歳でベスト6に選ばれる。

以後、11年連続でベスト6、通算では14回選出。最優秀選手賞7回、スパイク賞4回、ブロック賞1回、殊勲賞7回、敢闘賞4回。

この間に新日鐵堺は日本リーグで11回優勝。

モントリオール・オリンピック、ロサンゼルス・オリンピック代表。世界選手権は3回出場。

ワールドカップにも2回出場。

男子バレーボール界の頂点を極めたと言っていい。

「高校まで全くの無名選手が3年後には金メダルを目指しオリンピックに出ている。私ほど短期にうまくなった選手はいないと思います。短期上達法の秘訣は「考える」ことです。当時、選手として、何をしないといけないという決め事は特にありませんでした。体のメンテナンスは当然しましたし、食事も考えました。うまくなるには、すべてが当たり前のことでしょう。18歳でこの世界に入って、死ぬような思いで練習しましたが、早くうまくなりたいという思いだけでやってきたんです。

練習が終わって、同僚と大部屋に帰って、何本サロメチールを塗ったかわからない(笑い)。

それの繰り返しです。

 

正に、24時間上手くなるために考え、工夫を怠りませんでした。イメージトレーニング、技術や作戦をクリエイトするのも当たり前だと思ってやってきましたが、それが誰でもやってきたことではないと気が付いたのは、ずっと後の話ですよ。

現役時代は無我夢中でしたね」

Title

Crick

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