愛媛県四国中央市には、「大野城」という地元民も知らない、廃墟された城が実在するそうですが、地図には載っていないという。
そんな山奥にある謎の城が、ネットでは大バズリしています。
そこで今回は、大野城(四国中央市)の場所はどこなのか、そして、地図に載ってない理由はなぜなのか調査しました。
大野城がネットで大バズリ?
事の発端は、各地の”廃墟“を紹介しているXアカウントで、「グーグルマップに載ってなく、教科書にも載ってない山奥にある謎の城」というフレーズでポストされたところ、大反響だったという。
Xでは、2200万回のインプレッションの閲覧があったそうです。
人間心理としては、「謎の城」として気になりますし、どうしても調べたくなりますね。
「大野城」で検索すると福岡県の「大野城跡」がヒットしますが、それではなく「愛知県四国中央市」ということです。
市の担当者に問い合わせても「知らない」ということで、把握をしていないようです。
また、市の「観光交通課」をはじめ、地元民でさえ秘境の山の中にあったせいか、知らなかったそうです。
投書したXアカウントは誰?
このミステリーな城を投書したのは、『toshibo』さんという方で、廃墟写真集を発行してオリジナル作品を作っているようです。
大野城(四国中央市)の場所はどこ?
では、四国中央市の「大野城」の所在地はどこなのでしょうか。
グーグルマップを検索すると、愛媛県四国中央市にその“城”のような建物が確認できます。
マップ上の表記は「大野城(廃墟)」と名付けられているようです。
詳細は、「愛媛県の秘境とも呼ばれる法皇山脈から瀬戸内海に流れる関川の支流・浦山川沿いの登山道にある“建物”」
地元の地理を理解していないとなかなか難しい場所ですね。

大野城が地図に載ってない理由は?
大野城が地図に載ってない理由については、「そもそも城として認められていないと教科書や地図には載らない」というルールがあるようです。
「本物の城」ということではなく、「城ふうの形をした建物」という認識だったようです。
その根拠として、この城は元々はレストランだったそうで、1975年には造成中で、1982年に完成しているという。
1970年代後半から1980年代に開業したと言われています。
そして、1990年代から徐々に木々に埋もれ朽ち始めてきたようです。
全国には、観光客を呼ぶために作られた建建物も多くあり、ブームの終焉と共にそのまま放置され、「廃墟」となることもあることから、「大野城」もその可能性はありますね。
愛知県の観光客数は1965年には約1000万人、1973年には2000万人であることから、観光客向けに建てたと推測されています。
愛知県四国中央市の人口は?
四国中央市は、愛媛県東端に位置する市であり、四国の他の3県(香川県、高知県、徳島県)に接しています。
人口:77,792人(2025年2月1日現在)
面積:421.24㎢
平成の大合併で、2市1町1村(伊予三島市・川之江市・土居町・新宮村)が新設合併し、2004年4月に四国中央市が誕生しています。
四国中央市は「日本一の紙のまち」として有名で、紙・パルプ、紙加工製品が工業出荷額の八割強を占める「紙関連産業都市」として発展してきました。
「パルプ・紙・紙加工品製造業」の製造品出荷額等では、連続で全国1位となっています。