ジャイアンツの坂本勇人選手と言えば、日本を代表とするスラッガーですが、母子家庭で育ったようです。
そこで今回は、坂本勇人選手の生い立ちや、両親は離婚で母子家庭、そして兄弟の絆について見ていきたいと思います。
坂本勇人の生い立ち
坂本勇人選手は1988年12月14日生まれの33歳です。
兵庫県伊丹市で、3人兄弟の次男として生まれました。
坂本勇人選手の名前の由来は、父親が名付けたそうで、内閣総理大臣だった池田勇人(いけだはやと)氏からとったもので、大きな人間になるようにと願いを込めて名付けられたという。
今では日本を代表とするプロ野球選手に成長していますから、願った通りの大きな人間になりましたね。
小学生時代
坂本選手の出身小学校は、伊丹市立昆陽里(こやのさと)小学校で、1年生の時から野球を始めています。
所属チームは、昆陽里タイガースと言い、昆陽里小学校の生徒がメンバーとなっています。
そして昆陽里タイガースの練習は週5回で、放課後を利用した猛特訓だったようですが、坂本選手の後を追うように入団してきた選手が、元大リーガーで現在は楽天イーグルスの田中将大選手だったという。
当時は、坂本選手がエースで、田中将大選手はキャッチャーだったそうです。
今では考えられないような夢のバッテリーですね。
そしてチームは、小学6年の県大会で準優勝します。
「投げやすくて肩のいいキャッチャーでした。サインはないんですけど、田中がいろいろなコースにミットを構えるので、そこを狙って投げていました」と坂本選手は振り返っています。
坂本選手の父親は、小学4年生だった坂本選手がショートを守った時、三遊間のゴロをすごく軽やかにさばくのを見て、もしかしてプロに行けるのではと、思ったという。
中学時代
坂本選手の出身中学校は、伊丹市立松崎中学校で、「伊丹シニア」というチームに所属します。
伊丹シニア時代に指導したコーチの田中力さんは、坂本さんについて、一匹狼で人と群れずにやりたいことをとことんやるタイプだったと言います。
しかし、面倒だと思う練習は離れていくなど要領がよかったという。
下級生の練習でも面白そうなら寄ってくるし、つまらないと判断したらすぐいなくなるといい、それがプロになる力だったかもしれないと言います。
高校時代
坂本選手の出身高校は、地元の兵庫県から離れ、青森県八戸市の八戸学院光星高校です。
1年生の秋からレギュラーとなるなど天性のものを発揮します。
そして高校3年生の時、センバツ高校野球に1回戦に4番・遊撃手として出場しています。
5打数3安打1打点2盗塁の大活躍を見せましたが、チームは敗れてしまいました。
その後、ドラフト会議では、読売ジャイアンツが1巡目で堂上直倫を抽選で外したことによる再指名で、坂本選手の交渉権が確定しました。
その後の坂本選手のプロとしての大活躍は、誰もが知るところとなります。
坂本勇人の両親は離婚
坂本勇人の父親
坂本勇人選手の父親は、喜代三さんという方で、食肉の卸業を営んでいました。
アメリカのシアトルに牧場を所有しており、そこで食用牛などを育てていました。
父親は、1年のほとんどをアメリカで過ごしており、坂本選手の野球をしている姿をほとんど見ることができなかったという。
そして兄弟3人の世話についても母親が見ることになったそうです。
仕事ばかりで家族との時間が取れない父親は、当時を振り返って、「息子や嫁には本当に寂しい思いをさせてしまい、申し訳なかった」と語っています。
両親はお互いのすれ違いが原因なのかわかりませんが、離婚されてしまったそうです。
しかし、坂本選手が巨人入りしてからは、父親とは時々会って、ご飯などに行っていたそうです。
坂本勇人の母親
坂本選手の母親は、輝美さんといい、旦那さんと離婚してからは、女手一つで子供たちを育ててきました。
母の輝美さんは、非常に明るい性格で少し天然なところもあってか、少年野球の保護者の中では人気があったという。
少年野球では会計などを担当したり、選手達の送迎に精を出していたそうです。
子供のために一生懸命だったのですね。
男性顔負けの行動力で、チームを支えていたそうです。
しかし、母親の輝美さんは、坂本選手がドラフト会議指名される数週間前に、がんであることの余命宣告があったそうです。
坂本選手には心配をかけたくないと、ドラフトの時には本人にそのことは伝えなかったそうです。
坂本選手が入団して2軍の試合に出場する時母親を招待しました。
そして、坂本選手は見事に母親の前でホームランを放ちました。
闘病中だった母親にとっても、そして坂本選手にとっても特別なホームランとなりました。
その試合からわずか1か月後に輝美さんは天国へ旅立ちました。
坂本勇人の兄弟
兄弟の絆が凄い
坂本選手の兄は、坂本勇太さんという方で、坂本選手とは6歳違いの頼れる兄です。
坂本選手が野球を始めたきっかけは、兄の勇太さんが野球をしている姿に憧れて始めたそうです。
坂本選手は元々左利きでしたが、右利きの勇太さんのグローブを使っていたことから、右投げ右打ちになったそうです。
読売ジャイアンツの坂本勇人選手が現在いるのは、兄の影響が大きかったようですね。
お兄さんはすでに結婚され、2人の子どもがいるそうです。
坂本選手も甥っ子と姪っ子が可愛くてしかたないと、兄の子供達を溺愛しているようです。
坂本勇人の弟
坂本選手の弟は、坂本勇斗さんといい、3歳違いになります。
勇斗さんも野球経験者で、少年時代から坂本選手と一緒に練習をしてきました。
2016年に坂本選手がグアムで行った自主トレに同行し、手伝いをしていたそうです。
また、坂本選手のシーズン中の移動時には、弟の勇斗さんが車の運転をするなど、マネージャー的な役割をしているそうです。
いままで兄の背中を見てきた勇斗さんは、坂本選手の一番の理解者なのでしょう。
勇斗さんは高校を卒業後、解体業などで働いていましたが、坂本選手から頼まれて、上京を決意したという。
勇斗さんにとって忘れられない試合は、2021年東京オリンピックの決勝戦で、
日本が優勝し、坂本選手が金メダルを獲得した瞬間だったでしょうね。
坂本勇人の生い立ちまとめ
今回は、坂本勇人選手の生い立ちや、両親は離婚で母子家庭、そして兄弟の絆について見ていきたいと思います。
坂本勇人選手は、兵庫県伊丹市で3人兄弟の次男として生まれました。
父親はアメリカのシアトルに牧場を所有し、食肉牛の卸業を営んでおり、1年のほとんどをアメリカで過ごしていたようです。
両親は坂本選手が小さい頃に離婚し、母子家庭として育ったそうです。
母親は明るい性格で、坂本選手たちの少年野球チームでは、ムードメーカーでもあり、会計を担当したり、車での送迎もしていたようです。
しかし、坂本選手が巨人に入団してから、がんで亡くなってしまいました。
兄弟仲は非常に良好で、強い絆を感じますね。
今後さらなる活躍を期待したいですね!