元歌手の桜田淳子さんは、1992年に旧統一教会の広告塔として合同結婚式に出席しています。
ファンだった方は大変なショックを受けたでしょうね。
そこで今回は、桜田淳子さんは旧統一教会になぜ入ったのか、きっかけや脱退しない(できない)理由などを調査しました。
桜田淳子の入信後の経緯や現在は?
1992年に歌手の桜田淳子さんが統一教会の合同結婚式に、広告塔として出席した時は、芸能界だけでなく、日本中の人が衝撃を受けたでしょう。
入信当時、桜田さんが所属していたサンミュージックは、「脱会」しなければ芸能活動を続けるべきではないと、説得を試みていたそうですが、彼女の意志は固かったようです。
その後、結婚と同時に表舞台から去っていましたが、14年後の2006年に自伝『アイスル ジュンバン』を集英社から発表し、その内容は結婚で3児をもうけたことや、幸せな家庭を築いていることを綴っていたようです。
桜田さんは統一教会について何も触れていませんが、自身が近況を発信することが広告塔としての活動とみなされているようです。
そして、2013年のサンミュージックの会長の通夜で姿を見せ、それを機に芸能活動を活発化させていったようです。
2018年には、この先10年間で芸能活動の総括をしようと思っていると、「婦人公論」を通じて発信し、いつ復帰してもいい態勢を整えていたという。
しかし、統一教会の件について何の説明もしていない桜田さんに、古巣の事務所もバックアップを拒んでいたという。
桜田さんは、現在も統一教会を脱退してはいません。
現在は、女性占い師に心酔し、占い師からは3年待てと言われているようで、芸能の再開の目途はたっていないという。
そして、芸能関係者の話では音信不通状態が続いているのだそうです。
桜田淳子は統一教会に入ったきっかけは?
桜田淳子さんは14歳で歌手デビューして、「私の青い鳥」や「気まぐれヴィーナス」など、多くのヒット曲を連発し、森昌子さんや山口百恵さんとともに、花の中3トリオで人気絶頂でしたね。
しかし、19歳の時にはすでに統一教会に入信していたそうです。
そのきっかけとなったのは、桜田さんのお姉さんがもともと信者だったことからのようです。
しかしそのことは、ずっと隠されていたという。
感づいていたのはマネージャーや所属事務所の社長らごく一部だったそうです。
桜田さんは、20代になっても結婚はもちろん浮いた話もなかったことから、合点がいきますね。
山口百恵さんや森昌子さんらが結婚する中、いつまでも独身だったのは、教祖が決める相手以外はサタン(悪魔)と信じていたのでしょうね。
桜田淳子が統一教会を脱退しない(できない)理由は?
桜田淳子さんは、統一教会の信者だと会見でカミングアウトし、合同結婚式に参加しています。
合同結婚式では、新体操の山崎浩子さんやTVコメンテーターの飯干景子さんも参加するということで大騒ぎでしたね。
しかし、飯干さんは親族に説得されて脱会、山崎さんは結婚後に失踪・脱会しています。
桜田淳子さんは、統一教会の「広告塔」扱いで、身を潜めるしかなかったようです。
そして桜田さんは結婚し、3児の母となります。
旦那さんは、福井県で工場を経営していましたが、合同結婚式から8年後の2000年に廃業し、旦那さんの実家の兵庫県西宮に引越し、その後都内の高級マンションに移ったという。
マンション代や生活費などはどうしているかは不明です。
「日刊ゲンダイ」では、2016年に森昌子さんに取材する機会があり、次のように話しています。
森昌子は「私が病気のとき、淳ぺいから留守電が入っていたことがあった」と語った。だが、桜田と会うのはリスクを伴うだけに、気軽に会うことはできないようだった。
引用元:日刊ゲンダイ
桜田淳子さんは、現在64歳になりますので、19歳で入信してからは45年になりますね。
桜田さんが統一教会を脱退しない理由は、組織内での生活について居心地がいいからと考えられるようです。
桜田淳子が統一教会に入った理由まとめ
今回は、桜田淳子さんは旧統一教会になぜ入ったのか、きっかけや脱退しない理由などを調査しました。
桜田淳子さんが旧統一教会に入ったきっかけは、お姉さんがもともと統一教会の信者だったからです。
身内であり特に姉だったことから、入信することに抵抗がなかった、あるいはできなかったのかもしれませんね。
脱退しない理由については、組織内での居心地がいいのではと推測されますが、実態はわかりません。